「ホテルビーナス」 1

まさに「読む映画」だった。
読むと言うのは、字幕を読むというよりも「観る読み物」ってこと。
映像付き、音楽付き、解説付きの読み物。
美しい映像や言葉で彩られた作品といった感じ。
なんとなく、映画を観たという印象がない。

この映画、他の映画とは逆の作り方をしている気がする。
(映画の作り方をよく知らないので、想像だけど)
まず、ラストの映像のイメージがあり、そして全体のイメージがあり、
撮りたい風景や人物があって、使いたい音楽があって、
そして、最後にストーリーや言葉をはめていく、そんな作り方をして出来た感じ。
サントラがまずあって、それに合う映画を撮ったみたいな。
ホテルの部屋という設定が、物語というより、エピソード1・エピソード2…のよう。
巧く表現できないけど、映像を楽しむ、音楽を味わう、それにストーリー(というか、台詞)が乗っかっる感じ。

だからか、
予告やその他で、「あなたはどの部屋で泣きますか」「何回も泣いた」「感動しました」とよく聞いたけど、そういうのとはちと違うぞと。
自分の泣きのツボが、人とずれているのかもしれん。
「ここが泣き所」みたいなところではぐっと来ず、ツボにザクッとささったのはカラーになってから。
それはあの青い空ではなく、他でもない「つんく」のいるシーン。
つんくからオーダーを受けたサイが、チョナンとタップで会話をするのだ。
楽しそうに嬉しそうに。サイの背中に本当に翼が生えたよう。
だからビーナスは死んでしまうけど、悲しさがない。
悲しかったり可愛そうな場面では、あまり泣けない。
ここで泣け、みたいだともっと泣けん。
哀しみや苦しさを知ってる人々が、楽しそうにシアワセそうに笑ってると、じーんと来る。
なので、スマスマの歌はたまに泣けます。

好きな映画のひとつ「ベルリン天使の詩」とも似たところがあった。
ノローグやラストでカラーに変わるところ。
ホテルビーナスの台詞は、それぞれが自分を語る台詞で、他の人との掛け合いが少ない。
それも、読み物っぽいところなのかも。

タップは、NANTA(韓国のパフォーマンス)を思い出す。
あれが英語ならタップだけど、韓国語との組み合わせはNANTAのよう。